ゲエッ!寺山修司!

というのは私が寺山修司を認識した時に発する言葉だったりする。こころのなかでゲエッ!寺山修司!と叫ぶのだ。

私が寺山修司のことを好きか嫌いかと言われれば毛先をくるくると触りながら「えー?寺山くん?うーん、好きでも嫌いでもないかなー」とスマホを弄りながら答えてしまいそうだ。

寺山修司を初めて知ったのは正確にはイラストで、詩を題材にしたイラストを見て、そこからこういう人がいるのか、と思った。それでそこから彼の詩集を買ってみた。

(なんて?)

というのが印象だった。宮沢賢治の「因果交流電燈」に近しい。次に思ったのは二面性が凄い。特に海に関しては青少年というか、教科書に乗りそうな純なものが多いのに、愛とかそういうものになると途端に怖くなる。DV夫みたいだと思った。
でも私は寺山修司のそういうところが、いっとう大好きだ。

特に好きなのは「色鉛筆にまたがってゆくぞ地獄へ菓子買いに」という漠然としたもの。漠然としているのに当時の私はとても刺激を受けた。

同じ言語だとは思えなかったのだ。

こんなにも日本語で、意味のわからないことを書ける人がいるのかと思った。詩とか短歌とか、こんなことを言うと極論かもしれないけれど、基本的にはそのひとにしかわからない喩えで表現だ。短いから尚更そう。文が詰まっていなくて、ドーナツの穴みたいなものがポツポツある。でもそれがドーナツの穴だとなぜ理解できるのかというと、周りに生地があるからだ。周りにチョコが塗ってあって、あと丸いから。でもこれは、そんなものがなくて、ただ空虚なそこにこれはなんですかと言われている。

意味を見出す隙がない。文脈として成立しているのに、「色鉛筆にまたがって」以上以下の意味をそこから何も見いだせない。隔絶されている。崖から突き落とされた感じがする。

これを見て私は寺山修司は嫌な笑い方をするような男だと思ったけれども、天才だと思った。こんなことを言うと嫌な笑い方をされそうだから本当は言いたくない。

ある日私は父親にその旨を話した。父親と言ってももう離婚しているし、私は当時の記憶が無いのでただの物をくれるオジサンだった。オジサンは新聞記者で、なんだかペラペラと事故の話をしていた。食っていたドリアが不味くなった。
父は私が寺山修司を好きだと言う旨を聞くと、苦笑して笑った。きっとこの人は何万回もおんなじことを言ってるんだろうなと思った。
寺山修司って、その、あれでしょ?ちょっと外れた人でしょ?犯罪者が好きそうな、インモラルな」
やめときゃ良かったと思った。
「それってさ、あれじゃないの?寺山修司が好きな自分が好きなんじゃないの?」
その後オジサンはプレゼントと言って本をくれた。そういやこの人はものをくれるけど、欲しいものを私に聞いてくれたことなど一度もなかった。その分S子ちゃんの離婚した父親はほしいものを月一で買ってくれるらしいからいいなと思った。死ね、とも思った。どっか私の知らないところで死んで欲しかった。再婚した嫁と出来た息子は別に死ななくてもいいと思うけど。

そんなことはともかく、私が彼の本で今のところ一番大好きなのは「さかさま世界史英雄伝」だったりする。簡単に言うと、二宮金次郎だとか、エジソンに対して延々と難癖をつけていくのだ。しかも対談方式で、一方的に(反論はあるけれどもちろん本当ではないので)叩き伏せてしまう。この本が私はとても愉快でよく見ている。寺山君ってこういうことしそうだよね、しそう。実際してるし。と私はスマホをいじりながらまた友達と談笑する。

こういう、少しひねくれたと言うかひねくれすぎてねじ切れんばかりの反骨精神が私は好きだった。彼はいつぞやのインタビューで自らの言論活動を“ゲリラ”と評したけれど、自らが劣勢であることの自覚、自らの主張に対する苛烈さは私が欲しているものだった。

でも最近、なんだか少しばかり怖くなる。寺山君に登下校を付けられているような感覚。文を書いても、愛について説いても、何をしてもふるいにかけられているようでならない。嫌な顔で笑われているような気がしてならないのだ。

この世の生命の一定数は決まっていて、自分が死んだら自分と似たような人間が補充されるのだけれど、自分と入れ替わりだからその人とは一生会えない。
という話があるのだけれども、寺山修司に似た人間はどこで生きているのだろうか。街路樹の影から、嫌な笑い方をしてこっちを見ている気がする。
きっと私は、寺山修司が同じ時代に生きていたら彼のことなど好きにはなれない。死んでいなければ、こんな事など書けはしない。それほどまでに気持ちが悪くて、恐ろしいのだ。

オジサンが言ったことは本当に正しかったのか。私は本当に、寺山修司が好きな自分を好きでいいのだろうか。寺山君、そっから出てきて教えてくれよ。