視覚化された愛情にめちゃくちゃにされる
最近ポケットモンスターサン・ムーンのムーンを始めた(ウルトラなんちゃらではなく無印)
- 出版社/メーカー: 任天堂
- 発売日: 2016/11/18
- メディア: Video Game
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私のポケモン歴はプラチナのみ。しかも最終プレイは2016年以前。何故なら最後にプレイしたゲームであるはずの『アルカナ・ファミリア』のセーブデータが2016年だったから。
酔っ払ってたのか?
それはともかく、私の気持ちはめちゃくちゃにささくれだっていた。どのくらいささくれていたかというと靴下の糸に引っかかるくらいである。
というのも、ことの始まりは「ムーンをやろう!」ではなく「ポケモンやりたい!」→「プラチナ引っ張りだそう」→「あれ、ない……」→「売ってる!!!!??!!!!?終わりだ!!!!!!!!?!!!」だったのだ。
「プラチナを売った」これつまり「私のポケモンを手放した」と同義である。万死。
当時の記憶は全然ないが、四天王を倒した私はもう完全にやる気がなくなり、お金を作り出すために売っぱらってしまったのだ。なんてちゃちなガキだろう。お前その3年後にはTSUTAYAのレンタル(旧作一週間108円)にしか金使ってないぞって言ってやりたい。お前海外ドラマとかぐらいしか借りてないぞ。
プラチナの私の相棒は御三家ではなくムクホークだった(とはいいつつもナエトルはしっかりとドダイドスに進化して手持ちスタメンだったよ)三段階進化で、最初のムックルから一緒に冒険していた。
技構成は今でもしっかり……と言いたいところだけど、半分ぐらいしか覚えていない。
・そらをとぶ(これをやると1ターン技をかわせるのでたいへん愉快だった 馬鹿め!!!!!とか思ってた)
・つばめがえし(私の中では1番強い技だったので1番よく使ってた)
・なんか……鉄の翼みたいなやつ(あんまり記憶が無いけどモーションがマジで鉄の翼でそんなことある?と思った記憶がある)
昔の私は今ほど感傷的ではなく、本当にただただポケモンをしているという感覚で、惰性で育てていたのではないかというぐらいだ。それでも今の私がかえりみる当時の私とムクホーク(ともちろん他のポケモン達)の旅はひどく輝いてみえた。まっとうな物語の主人公みたいだった。自分で言うのもあれだけどアニメとかになりそう。私だけではなく、ポケモンをプレイしてポケモンと度をしている人にはみな物語となるものが与えられているように思う。
私はオタクなので唯一無二のふたりという単語が大好きだし、そうなりたいなあとこの歳になるとすごく思うようになるし、そして何より無意識だったのが本当に良かった。
ムクホークの顔はめちゃくちゃかっこいいので私は勝手にオスだと思っていて、レベル50ぐらいでようやくメスだと気づいて少しガッカリした。でも天海祐希さんとか真矢みきさんとかそういう感じなんだなと思うと満足した。
こんなクソみたいなエピソードも(クソだからか?)未だに覚えている。ムクホークの存在は私が思っているよりも根深いらしい。
これまでが長い前置きというか未練タラタラな部分であって、ここからが本題です。長くなってごめんね。
サンムーンを選んだ理由はTLで流れてきた感想や私が見てきた実況で慣れ親しんだものだったからだ。
(ランドセルさんは愛と変が同居していて本当にすごい)
あとポケモンに詳しい友達に聞いてみると
「XY」「オメガルビーアルファサファイア」「ウルトラサンムーン」「ピカチュウイーブイ」
と横文字の羅列で頭がぐんにゃりしてきたので思考を諦めたのもある。プラチナは4文字だぞ、ふざけるな。
ムーンを選んだのは鬼束ちひろが好きだから。
あとサンってめちゃくちゃ元気そう。
REBORNだったら京平くんってことだよ(嫌いではないが見ていてエネルギーを吸われてしまうのだ)
それなのに、いざ始めてみるとアローラ〜である。なんかいきなり連れ回されるし、なんか連れ回されるし、地域のお祭りには強制参加だし、またなんか連れ回される。新しいクラスに慣れるのに6ヶ月かかる私にはなかなか気が重かった。プラチナは割と放任主義でここまで連れ回されることが無かったので余計どぎまぎした。
最初のポケモンはモクローにした。丸まっていてたいへんかわいらしい。丸いものはかわゆいのである。かわゆいから丸いのである。達磨は大変かわゆいものだと、「夜は短し歩けよ乙女」でも言っていたような気がする。そしてモクローは実際に可愛い。
ああ、そういえばプラチナの最初もくさタイプのナエトルだったなあとしんみりしてしまった。ポッチャマとひどく迷ったけれど、なぜナエトルにしたかは覚えていない。今考えるとポッチャマは1人でも上手くやっていけそうに思ったのかもしれない。ナエトルは1人だと寂しそうだな〜とでも思ったのかもしれない。
後付ならなんとでもできる。
ムーンで個人的に助かったのは今のところこんな感じ。
あと地味にがくしゅうそうちが全ポケモンに適用されるのが助かる(プラチナは装備したポケモンのみ適用) わざの相性を教えてくれるのも助かる あとわざマシンが繰り返し使えるのいいな 使ったことないけど
— 六六 (@hakuhaku898989) 2019年3月3日
そしてここで、なんと驚きの機能をさずけられてしまった主人公こと私。
そう、「ポケリフレ」である。
これがまあよく出来ていて、立体(少なくとも平面的ではない)のデータが全ポケモン分ちゃんと用意されていて、好きな時に、あるいはバトル終了後にポケモンと触れ合うことが出来る。
例えばバトル終了後だと、毛が乱れていたり水がかかっていたりするのでそれぞれに見あった対応をする。個人的にすごいな〜と思ったのはねむり、まひ、どくといった状態異常がこれで治せてしまうことだ(バトル終了後にリフレできないこともあるが)
普通にメニュー画面からもポケリフレは開けて、ポケモンを撫でたりすることができる。撫でる時も心地いい場所とよくない場所があるらしく、それによってポケモンの表情が変わるのもまた細かい。
触ると静電気になる、というような設定があるピチューだと、実際に頬を触ると手がビリビリと痺れたりする。本当に細かい。
私が一番好きな顔(はえ〜^みたいな顔)
ポケリフレにはパラメーターが3つ存在しており
なかよし(撫でたりすると上がる)
まんぷく(豆をあげると上がる)
なでなで(言葉の通り)
以上の条件で上がったりする。
これもまた大変良くできており、なんとなかよし度が高ければバトル中に技を回避するのだ!
マジでポケモンアニメの世界じゃないか。サトシとピカチュウだ。なんとも嬉しいシステム。
バトル中のポケモン達は
「初めて出会った日のことを思い出している」だとか
「すごい作戦に期待している」だとか
HPが赤くなると「泣きそうになる」だとか
「プレイヤーと息を合わせて技を回避する」だとか
「心配をかけまいと状態異常を自力で治す」だとか
こうかばつぐんの技を出すと「こちらを見て頷いてくれる」だとか
そういう【目に見える信頼】を示してくれる。
そんなわけで、かわいいなあかわいいなあと数時間プレイしていた私に訪れた最初の異変がこれだった
ムーンめちゃくちゃ楽しい ポケモンがバトル中に色んなこと考えてるのわかって楽しい 初めて会った日のことを思い出している、そんなことある!?あるんだなこれが、サンムーンでは 負けそうになって半泣きになるのかわいいな〜って思ってたけどなんか なんか鬱になってきたな
— 六六 (@hakuhaku898989) 2019年3月3日
鬱というには勿論大袈裟なのだが、なんだか気分が落ち込む。半泣きになったポケモンを引っ込めないでいたら、そのまま倒されてしまった時。精神衛生が少し悪くなってしまった。
私は抑圧的な環境に身を置いていたことがあるので、嫌だ嫌だと常日頃からTwitterで喚いていることが多かった。私と半泣きになったポケモンが重なってしまい、私はもしかしたら抑圧的なトレーナーなのかもしれないと思うとまた気分が落ち込む。
ポケリフレは全員にしようと思うと、正直面倒だ。
面倒だと思ってしまう自分を認識する度にやっぱり私は主人公じゃないんだなあ、サトシは立派だなあ、と思ってしまうし、ハートを振りまいているポケモンの裏では戦闘に出されず撫でられもせずボールの中で丸まっているポケモンがいる事実から目を背けようとしている。
平等でいたいし、平等に愛したいし、みんなと仲良くなりたいと漠然と思う割にはポケリフレを全員にする気力はない。そんなことをしていると冒険が進まない。私が撫でるとポケモンは喜ぶ。でもその裏ではだれかのパラメーターは下がり続けている。
一度そんなことを考えてしまうと、ポケモンを捕まえることにすら気が重くなってしまった。
私はプラチナ時代から持っていないポケモンはとりあえず捕まえておく派だ。このスタイルは何も珍しいものではないと思うし、この話自体このやり方を批判したくてしているのではないということをわかって貰えると嬉しい。
ポケリフレというポケモンを愛する手段が明確に提示されている今作では、育てる気のないポケモンを捕まえることは、ある種の虐待をしているような気分になってしまった。可愛いから捕まえておこう、と捕まえて電子化されたボックスに(実際にポケモンが電子化されているかはともかく)一生置物のようにしておくのは、もしかして、めちゃくちゃひどいことじゃないのか。
私は他人がそうすることにはなんの感情も起こらないのに、自分がいざそうすると感情がめちゃくちゃになってしまった(精神自傷クソ野郎であるため)
私の手持ちにはピチューがいる。初めて出会った時にめちゃくちゃ可愛い!!!と思った私が捕まえて、手持ちが空いていたからそこに治まっている。可愛いから、愛玩したいから、という理由で捕まえた割になでなでパラメーターは埋まっていない。何も可愛いポケモンはピチューだけではない。空いている時に来た可愛いポケモンだから。
私はこの理由があまり正しいことではないような気がしているけれど、愛玩したいことは正しい理由ではない、という偏見も嫌だ。
私が相応しくないという話なのだと思う。
街や道路で出会うトレーナーやジムリーダー達の手持ちはだいたい6匹以下だ。出会った時には私の手持ちは6匹なのでもっと持っておけばいいのにな〜と今も昔も思ったものだった。
もちろんゲームシステムが理由だというのは分かる。最初の街で6匹持ちのトレーナーが出てくるのはきつい。私だったら投げ出してしまいそうだ。バトルも長くなってしまうもんね。
でも、今の私にはその理由が別のものに見える。
私は、モクローとだけ旅をするのが正しかったんじゃないのか?
この文章は夜に書き始めて、一回寝て起きて、今朝ハウくんを西部劇みたいな場所で倒した。
ハウくんは本作のライバルポジなのだが、あまりにも朗らかなのでどちらかというとクラスメイトのような心持ちがしている。
彼の手持ちはピカチュウと、オシャマリの2匹だけ。
なんだかそれが、すごく正しいような気がする。
私は6匹の手持ちでボコボコにさせてもらったが、彼はニコニコと笑って数百円をくれた。
私にはポケモン1匹とだけ旅をするのは無理だ。システム的に無理ではないけれど、そこまでの根性も愛情も持てそうになかった。
プラチナの時は、ポケモンが自分のことを好きかなんてのは全く分からなかった。ポケモンは平面的で、とりあえずきのみで焼き菓子を作ってみたり、あしあとから(マジでなんで?)パラメーターをはかったりしたものだ。
でもムクホークは絶対私のことが好きだし私はムクホークをめちゃくちゃ信頼している!という自信があった。傲慢と言えばそれまでだが、今の私にはそれが少し羨ましい。
想像するしかなかったから都合がいいとも言うし、空想上のもので、全ては私の妄想だからそれは確立されていた。
愛情が視覚化されて、向き合わないといけなくなってしまった私は真綿で首を絞められている心地がしている。
あの……もしかしてサンムーンでムクホークっているの!!?!!!!!??!ほんとに!?!!!?!!オワーッ!!!?!!!!?
— 六六 (@hakuhaku898989) 2019年3月3日
サンムーンでもムクホークは存在していると知ったのはこれを書き始めてからで(ムックルから育てるのだとは思うが)、大変嬉しく思ったものだが、今の手持ちの枠を空けろとなると気が重い。
ここに書いた全ては私の感傷で、ささくれなので、いつかはなだらかになって忘れてしまう前にこれを書きました。
今私は最初の島を出たところで、手持ちの入れ替えはひとつもしていない。でもポケモンは15匹いる。
これからどんどん増えていくんだろうな、楽しいといいんだけどな。
悲しいことばっかり書いてしまいましたが、ムーンはめちゃくちゃに楽しいです。ほんとだよ。立体的なのがこんなに楽しいとは思わなかった。
最後に、なんだか茶化してしまったのが申し訳ないのですが、「アルカナ・ファミリア」は普通に名作で最高に面白いのでみんなやってね。
Vitaならダウンロード版もあるよ
アルカナ・ファミリア -La storia della Arcana Famiglia- Ancora - PS Vita
- 出版社/メーカー: コンフォート
- 発売日: 2015/12/23
- メディア: Video Game
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